W杯日本招致に尽力 「代表の土台作った」


ラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表が初の準々決勝に臨む20日は、大会のけん引役を期待されながら2016年に53歳でこの世を去った平尾誠二氏(元日本代表主将、監督)の命日でもある。日本の大躍進に沸く今回のW杯。平尾さん、見ていますか――。親しかった友人らは感慨とともに「ミスターラグビー」が待ち望んだ大会を見つめている。

「理不尽や不条理なこともポジティブにとらえる人。突然の末期がんにさえ、『まあ、しゃあないですわ』と動じずに言った彼の姿が忘れられない」。京都大iPS細胞研究所所長、山中伸弥教授(57)は語る。

平尾氏は京都市出身で伏見工業高校を全国優勝に導き、同志社大、英国留学を経て神戸製鋼へ。大学時代ラグビーに励んだ山中教授にとっては長年憧れた存在だった。共著「友情」(講談社)などによると、同い年の2人は雑誌の対談を通じて10年に知り合い、急速に親交を深めた。

平尾氏は当時、現役時代に日本選手権7連覇を果たした神鋼のゼネラルマネジャー(GM)兼総監督。「マネジメントをする上で苦労やトラブルを乗り越えた経験を聞き、よく勇気づけられた」(山中教授)

15年秋、平尾氏のがんが発覚。山中教授も治療法を探し奔走した。闘病生活のさなかでも、日本ラグビー界のことを「本当に真剣に考えていた」という。「日本独自の勤勉さ、器用さ、高い技術力など優位性を出していくべきだと言っていた。代表の活躍を心から喜んでいると思う」

平尾氏はW杯の日本開催にも力を注いだ。2011年大会の招致活動に関わり、日本開催が決定した後の2012年には大会組織委員会理事に。待ち望んだ自国開催を引っ張る1人になるはずだった。

「彼の後押しがなければ動きだそうという気にならなかった」。日本代表で平尾氏とともにプレーした新日鉄釜石ラグビー部のOBで、今回大会の岩手県釜石市での試合開催に尽力した石山次郎さん(62)は感謝の言葉を口にする。

東日本大震災直後の2011年7月、神戸市でのラグビー関連イベント。この場に平尾氏から招かれ、やはり新日鉄釜石OBの松尾雄治さん(65)が釜石でのW杯開催を目指すと表明。「こんな時だからこそやるべきだ」「僕も必ず見に行きます」。平尾氏が応じると、観客から大歓声が巻き起こった。この手応えが活動の原動力になったという。

平尾氏は日本代表監督として、初めて外国出身選手を主将に任命。強豪国のテクニックも積極的に取り入れた。「今の代表の土台をつくった人」と同志社大と神鋼でチームメートだった武藤規夫さん(55)は語る。

地域のスポーツ振興を図るNPO法人「SCIX(シックス)」を2000年に神戸市に設立。平尾氏が理事長、武藤さんらがラグビーコーチを務め、100年続くチームを夢見て中学生らの指導に励んできた。

「桜のジャージーを着る子どもがこんなにいる光景は考えられなかった。平尾さんもうれしいはず」。20日は平尾氏が通った神戸市内のスポーツバーで観戦する。「命日に大一番なんて、『ミスターラグビー』らしい」

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