難民保護はちょっとした判断の誤りで多くの人命を失う。どうやって決断するのか。日本で最も著名な国際人の答えに少し驚いた。「最後の決断は一瞬のカンです」。

2001年冬、緒方貞子さんに本紙の正月特集で話を聞いた。小泉純一郎首相がアフガニスタン担当の首相特別代表に招いた間もないころだ。

当時74歳。激動の人生のハイライトを迎えたのは60歳を過ぎてからだ。



国連難民高等弁務官に63歳で就任すると、身長150センチメートルの小柄な体に重さ15キログラムの特製防弾チョッキを着て、サラエボの紛争地帯を飛び回った。政策決定論を専門とする学者らしからぬ見極めはひたすら現場を歩き、人の話を聞くことで培われた。

ときには国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)内部から反対論が噴出しても、難民の救済・保護につながるとみていったん決断すればテコでも動かない。言葉の端々から使命感が伝わってきた。

「計り知れぬエネルギー、人道上の被害者に対する妥協なき専心、そして現場主義の熱意」。UNHCRの当時の部下は、緒方さんの資質をこう振り返った。

緒方さんを支えた理念として現場主義とともに知られるのが「人間の安全保障」だ。従来の「国家安全保障」に対し、誰一人取り残さない社会を実現するため、一人ひとりに目を向け、保護と安全強化に焦点をあてるという考え方。日本外交の柱として緒方さんが実践し、2001年、世界的な有識者をメンバーとする人間の安全保障委員会が設立された。

リアリストでもあった。資金を集め、難民の命を守るためには「政治と交渉する」し、「戦争時には軍とも協力する」。「オガタ・サダコ」は海外で先に評価が高まった。英エコノミスト誌は「ラストリゾート(最後の頼み)の女性」とたたえた。

普段は物静かで無駄口はきかない。最後はさも当たり前のように決断する。ライフスタイルは常に"挑戦"だった。それでいて淡々と、自然体を貫いたのも緒方さんだ。

上智大で教べんをとっていたころ、女子学生からしばしば女性が社会進出する不利をどう克服するか、と聞かれた。答えは「女性と男性はサイクルが違うだけ」。確かに女性は社会のキャリアを重ねるうえではハンディがあるかもしれない。だが「男性と同じサイクルを歩まなくても出産し、子育てするのも幸せであり、喜びです」。

緒方竹虎元副総理の息子で日銀出身の夫、四十郎さんと結婚したのは33歳のとき。熱烈な恋愛結婚だった。2人の子供の育児や母親の介護もこなしがら学界、そして外交界へとデビューした。家庭生活にとられた時間を猛烈な勉強で取り戻した。

1932年の5月15日、曽祖父の犬養毅首相が軍の銃弾に倒れた首相官邸(当時)に初めて足を踏みいれたとき「ちょっと嫌な感じ」がしたという。時の芳沢謙吉外相は祖父。まだ4歳で、外交官の父に連れられ米国にいた緒方さんに事件の記憶はなかったが、祖母からよく当時の政治状況を聞かされて育った。

博士号の論文は「満州事変と政策の形成過程――日本は自己を破滅に導くような膨張政策をなぜとらなければならなかったのか」。外交の孤立で自縄自縛に陥り、軍部の台頭に政治が翻弄された時代。政治家と外交官の血をうけた緒方さんの原点でもあった。

「緒方外相」を1度見てみたかった気がする。2度の外相の打診を断った。2002年、小泉政権から日本外交の再建を期待された2度目の打診のさなかにニューヨークで夫が倒れた。本来はやる気があったのではないですか。5年前、本人にぶつけてみた。「自分はもともと学者であり、閣僚のような仕事には向かないと考えていました」。自然体は最後まで変わらなかった。

緒方貞子氏「ODA超えた貢献を」(これからの世界)国際協力機構特別フェロー 2015/8/13

――ご自身が17歳のとき、敗戦を迎えました。それから70年、日本外交をどう振り返りますか。

「日本外交はもう少し、国際的な広い視野に立って進めるべきだった。日米関係はもちろん基軸だが、米国は自分の世界戦略で動く。1970年代初めに突然、中国に接近したのも、対ソ戦略だった。日本は世界を見渡すというより、対米や対中など二国間の視点で考え、米国の動きを追いかけがちだ」

――その中国との関係でも日本は戦後、試行錯誤を繰り返してきました。領土や歴史問題の対立が深まり、関係は一向に安定しません。

「経済的には中国との協力なしにはやっていけない。そのことは政府より、むしろ経済界がよく分かっている。日本側の一部の層に安易なナショナリズムがある一方、中国側の一部にも傲慢な傾向がみられる。どうすればよいか、答えは簡単に見つからない。だが、日米関係を強めれば、日中関係も安定するというほど状況は単純ではない」

■和平仲介で外交力示せ

――日本は長年、経済援助を外交の柱にしてきましたが、世界一だった政府開発援助(ODA)の規模は大きく減りました。どこに外交力を求めるべきでしょう。

「かつて貧しかった国々が豊かになった分、宗教やイデオロギーの対立が吹き出し、国同士の衝突もふえている。中東やアフリカがそうだ。ODAの額を再び大きく増やすだけでは日本の国際貢献は足りない」

――安倍政権は自衛隊の海外での活動を広げようとしています。国会で安全保障関連法案が審議中ですが、国際貢献のあり方をどう考えますか。

「軍事力を使って、他国の紛争に介入することはやるべきではないし、やれることでもない。日本にそんな人的な資源があるとも思えない。ただ、海外の紛争地で人々を守ってあげるという、警察的な役割は大切だ。自衛隊が海外で治安維持の活動を展開することもひとつの方法だと思う」

――治安維持のため、自衛隊が海外での活動を増やすなら賛成だ、と。

「国際的に期待される治安維持の役割があるときには、自衛隊も出ていけばよい。その大前提は、必要な訓練がきちんとされていて、国際的な活動の一部として出て行くことだ。ただ、それを国際貢献の看板とするには無理がある。自衛隊を出すにしても物理的な限界がある。日本はもっと紛争国間の調停に入り、和平を仲介する役割をめざすべきだ。それには国際政治をよく理解し、交渉力がある人材を育てなければならない」

■世界に役立つ見取り図を

――世論調査では安全保障関連法案への反対が多いです。押し切ってでも、成立させるべきだと思いますか。

「法案によって何ができるようになるのか、どのように世界に役立てるのか。その見取り図を、政府がもっとしっかり、出せるようにならなければならない。そこをはっきりさせないと、世論の理解は得られない。以前私は、日本だけが『繁栄の孤島』となることはできないと言ったことがあるが、日本人だけが危ないところに行かず、自分たちだけの幸せを守っていけるような時代は、もう終わった」

――戦前、5.15事件で軍部に射殺された犬養毅首相(当時)は、ご自身の曽祖父ですね。

「5.15事件で曽祖父が殺されたときの家じゅうの衝撃は、まだよく覚えている。後年、私自身、外務省関係の仕事で最初に旧首相官邸に入ったとき、ここで犬養が殺されたのだと思うと、異様な感じがした。『軍部は悪い』という話を、私は聞かされて育った。そういう考え方は、いまも染みついている。だから、国際関係を勉強したのでしょう」

(聞き手は編集委員 秋田浩之氏)

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