学生時代に起業したウノウを米社に売却し、ほぼ1年間に及ぶ世界一周旅行から帰国した山田進太郎。「今度こそ世界を目指す」。後のメルカリを創業するために仲間にしたのが2人の男だった。大学の後輩で、起業経験がありフリーのプログラマーだった富島寛。そして米シリコンバレーで起業し、山田が以前から教えを請うていた石塚亮だ。「必ず米国に進出する。その時は亮にやってもらえないか」。山田はそう言って石塚を共同創業者として招いていた。

2013年7月2日に公開したフリマアプリの「メルカリ」。3人の思惑は外れ、まったくダウンロードされない日々が続いた。アプリをつくった富島は当時の心境を振り返る。「人がいないアプリだと思われたらもう終わり。こんなはずじゃない。なぜだ、と思っていました」

いきなり追い込まれたメルカリ。起死回生の奇策を提案したのが石塚だった。山田と富島をオフィス近くのカフェに誘うと、こう切り出した。

「このままやってもラチがあかない。ちまちまと広告を出しても意味がない。ここは一気にユーザーを集めよう」

石塚は広告に500万円以上をつぎ込もうと言う。残る資金は1000万円あまり。この頃は広告は後回しで1日に1万〜2万円程度に抑えていた。しかも、石塚が提案したのはただの広告ではない。新規登録したユーザーにポイントを還元する「ブースト広告」。検索順位やランキングがゆがめられることから今ではアップルが排除しているが、当時はギリギリ使える手段だった。

「このままじゃダメだ。バクチでもいいからやりましょうよ」。富島が加勢する。山田はじっと耳を傾けていたが、最後はうなずいた。「賭けだと思いました」
これが当たった。8月になるとダウンロード数が伸び始め、ユーザーの継続率も目に見えて改善した。「ユーザーの質がガラッと変わりました。ようやく、これでやっていけると思いましたね」。石塚はメルカリが軌道に乗り始めた手応えを感じたと振り返る。

12月には100万ダウンロードを突破し、ミクシィ最高財務責任者(CFO)だった小泉文明が参画する。大和証券SMBC出身で財務に明るい小泉は大型の資金調達に走り始めた。「数カ月で勝負をつける。やるなら徹底的に」。ライバルに一気に差をつけようと、資金の払い込みを確認するとその場で博報堂に電話を入れた。「すぐテレビCMの枠を押さえてください」。このCMでメルカリの存在は広く知れ渡り、急成長企業として注目を集めるようになった。

この頃、3人の創業者に小泉を加えたメルカリ経営陣が、会社のビジョンを考えようと都内ホテルの高層階に部屋を取った。「10年後のメルカリの姿とは?」。山田が問うと、小泉は眼下に広がる夜景を指さしながらこう話した。

「たとえばほら、ここから見える光が全部メルカリのユーザーになってつながっている。そんな世界を目指しましょうよ」

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  • 1970.01.01 Thursday
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