2013年秋、「AI(人工知能)のゴッドファーザー」ジェフリー・ヒントン(71)とAI革命を果たしたヤン・ルカン(59)のもとに1本の電話がかかってきた。「うちに来てくれませんか」。声の主は「ザック」ことマーク・ザッカーバーグ(35)。フェイスブック創業者だ。

■ザックからの電話

ルカンは当時、ヒントンと連絡を取りながら、ニューヨーク大学でAIを研究していた。

2012年の国際大会でトロント大学のヒントンのチームが圧倒的な強さでトップを取ったのをきっかけに、AIの「冬の時代」は終わりを告げ、弟子のルカンのもとにもAIを学ぼうと世界中から俊才が集まり始めていた。

IT企業は我先にとAI人材の囲い込みに入り始めルカンの教え子にも声がかかった。フェイスブックもその一つだったが教え子にルカンはこう忠告していた。「やめた方がいい」。当時のフェイスブックにAIの研究所がなく、その本気度を測れなかったからだ。自らもザックに「アドバイスはできるが、入社は難しい」と断った。

ザックはそれでも諦めない。2013年11月下旬、ニューヨークに住むルカンが西海岸のAIの会合に出ると聞きつけるとフェイスブックはルカンに本社訪問を打診した。承諾するとザックのアシスタントからメールが届いた。「1日早く来てマークの家で食事をしませんか」

■「私たちを手伝ってくれ」

シリコンバレーの中心地パロアルトにあるザックの自宅を訪れると、チキン料理のディナーが振る舞われた。ワインはブルゴーニュ産。フランス出身のルカンの好みを事前に調べていたようだ。ザックの妻のプリシラが席を外すと、親子ほど年齢が離れた2人でAIについて語り始めた。

フェイスブックはヒントンのAIに使われている深層学習(ディープラーニング)の活用に着手していた。ザックはディープラーニングに関するルカンの論文も読み込んでいた。

翌日、フェイスブック本社をルカンが訪れ一日かけてチームのメンバーと話し終えると、再びザックが登場した。「私たちを手伝ってくれますか」。ルカンは答えた。「2つ条件がある。私はニューヨーク大を辞めない。ニューヨークからも離れない」。

「いいでしょう」。ザックは本社があるシリコンバレーから飛行機で6時間かかるニューヨークにAI研究所を設けるとその場で決めた。

ルカンは今では世界的なAI学者だが「冬の時代」には職場を転々としていた。その過程で日本企業にも足跡を残していた。

フランスからカナダに渡り、トロント大学のヒントンの下で1年間のポスドク(博士研究員)生活を経て米AT&T(当時)の名門ベル研究所に職を得た。1996年からは開発チームを率いた。メンバーのウラジミール・バプニック(82)やレオン・ボトウ(54)は今やAI研究の権威だ。

■NECが助け舟

ルカンのチームは当時、手書きの郵便番号を認識する技術を開発し、実績を残しつつあった。だが2000年代に入るとドットコム・バブルが崩壊。AT&Tも業績が悪化し、ルカンは上司からこう告げられた。「君たちの半分は、ここから去ってもらう」

そこで助け舟を出したのがNECだ。ルカンは02年1月、米東海岸ニュージャージーにあるNECの北米研究所に移った。バプニックとボトウもルカンに続いた。ただ米国で起きたIT不況はすぐに日本にもおよび、NECも02年3月期に最終損益が3120億円の巨額赤字となる。すると会社からショッキングな言葉を告げられた。「我々はもう機械学習に関心がない」

機械学習はルカンが没頭していたディープラーニングを包含するAIの根幹の理論。「ここでは思っていた研究ができない」と悟ったルカンは、わずか1年8カ月でNECを去った。

とはいえNECに残した遺産は小さくない。AT&Tからルカンを追ってきたバプニックやボトウはNECに残ったからだ。北米研究所に残った
のルカン学派は遠い本国・日本の研究者たちにも多大な影響をおよぼす。

■ルカンの遺産
今ではNECが世界トップクラスの一角とされる顔認証。2000年代半ば、社内で研究が打ち切られる寸前の時期があった。命脈をつないだ今岡仁(49)には忘れられない経験がある。

「バプニックさんが来日するから、顔認証の技術を説明して」。中央研究所(川崎市)の若手研究員だった今岡は2004年秋、上司から指示を受けた。バプニックと対面した1時間のことを、今岡は今でも鮮明に覚えている。

今岡は当時、人種や性別など様々な人の顔写真を集める地道な作業を始めていた。一般に顔のデータが多ければ多いほど、コンピューターが人の顔を認識する精度が高まる。ただ、それだけでは限界があると考え始めていた。

「逆に、少ないデータをどう活用しようかと考えているんです」。今岡の説明にバプニックは大きくうなずき「重要な視点だ」と言い「実は僕も同じ課題に取り組んでいる」と続けた。

■イチかバチか

バプニックはサポートベクターマシンと呼ばれる機械学習の理論の提唱者だ。当時主流だったデータの分類手法で、コンピューターに事前にデータを与え一定のパターンに従い分類していく。その大家を前に、精度を高める手法について持論をぶつけたというわけだ。バプニックは若き研究者のアイデアを後押しした。

自信を得た今岡は顔認証の研究に没頭した。ところが2006年ごろに認証の精度が頭打ちとなる。研究所の中でも「もうやめるべきだ」との声が漏れ始めるようになった。今岡のチームも新入社員と外注先の3人だけに人員を削られた。いよいよ「撤退」の2文字が頭をよぎる。

2010年、今岡はイチかバチかの賭けに出た。米国立標準技術研究所(NIST)が主催する顔認証の「ベンチマークテスト」への参加を決めた。顔認証の世界で絶大な権威を持ち業界標準を決めるとも言われる。

貧弱なチームで勝てる保証はないが「会社員人生で全力を出せる機会はめったにない」という思いがあった。自分と同じような冬の時代をくぐり抜けてきた世界トップのAI研究者から自信をもらった経験も、今岡の背中を押した。「自分も世界を目指したい」

■顔認証で1位

ライバルは当時トップクラスの技術を誇っていた東芝と独コグニテック。NECは両社の後じんを拝していた。今岡は昼間にアルゴリズムを作成し、夜はコンピューターで動かして試す生活を始めた。文字通りの24時間体制。人員も少しずつ補強されたが、最後に頼れるのは自分だけだ。停滞していた顔認証精度の進化に手応えはあったが、最下位になる夢にうなされながら目が覚めることが何度もあった。

結果は予想外の1位。ここからNECの顔認証は息を吹き返す。今岡は病院に直行し、点滴を打って体力を取り戻した。「喜びというより、もはや放心状態でした」

トンネルを抜けた今岡の耳に、NECに根付くAI学派の「始祖」がなし遂げた偉業が届く。ルカンは師のヒントンとともにディープラーニングで革命を起こしたのだ。今岡も早速、自らの顔認証に取り入れた。

NECの顔認証の精度は現在、「100万人に1人のエラー」という。実用化の競争では中国勢という新たなライバルの台頭を許しているが、かつての輝きを失ったNECが現在も世界の頂点を競う数少ない分野だ。

最先端のテクノロジーは時代を経るごとに移ろう。ある日突然、それまでの常識が崩れ、新しいアイデアに取って代わられる。いつの世も、舞台裏には人生を賭けた研究者たちの魂の交流があり、知識と思いが受け継がれていく。

=敬称略、つづく

(清水孝輔)

  • 1970.01.01 Thursday
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