日本は機体やエンジンでは着実に自主開発力をつけつつある(写真は先進技術実証機X2=AP)

日本は機体やエンジンでは着実に自主開発力をつけつつある(写真は先進技術実証機X2=AP)

日本政府は、航空自衛隊の次期戦闘機を、日本主導で国際共同開発する方針を明らかにした。2021年度から本格的に開発に着手する。米国を振り切る形での決定には、開発と改修の自由を求めた日本側の並々ならぬ思いがあった。

 

幻の「F57」

 

今後約15年かけて開発するのは、35年ごろに退役する空自支援戦闘機F2の後継機。米側は当初、米空軍のステルス戦闘機F22と、米国を中心に国際共同開発した汎用ステルス機F35を融合した新型機の共同開発を日本に持ち掛けた。F2の時と同じ既存の米軍機を基にした新型機開発の打診だ。この米側提案を一部の関係者は22と35の数字の合計から「F57」という「暗号」で呼んだ。

その流れを変える一石になったのが、F2開発当時に中心的役割を果たした三菱重工業の神田國一氏が記し、同氏の没後5年の18年に刊行された手記「主任設計者が明かすF-2戦闘機開発」(並木書房)だった。

開発当時、米側は自らの技術機密は明かさない一方で、欲しい日本の自前技術は吸い上げた。日本が担当箇所で間違いをしていることに米側技術者が気づいても教えてくれない。心底腹を割った共同開発からは程遠かったこと、できれば日本が自前で開発した方が円滑に進められ経費も抑えられたことなどを手記は生々しく記していた。

遺言とも言える神田氏の手記で封印されていた事実が広く公表され、F2のような米主導の開発を繰り返すことは政治的に許されなくなった。

さらに「日本の主導的開発」を決定づける出来事が起きた。空自が18年に配備を開始したF35のうちの1機が翌19年4月の訓練中、搭乗員が高速飛行中に上下の感覚などを間違える「空間識失調」を起こして誤って海に墜落する事故が起きた。これを見た米軍は同年7月、当初は26年ごろを予定していた「墜落防止装置」の同型機への搭載をにわかに前倒し実施し始めたのである。

「F35のように米軍が改修の権利を握る機体の導入を続けていては、大切な搭乗員を守れない」と日本側関係者の多くが静かに思った。こうしてF57案は幻となった。

 

育てる装備品

 

とはいえ日本は、完全な自前開発に踏み切ったわけではなく、「日本主導の国際共同開発」を標榜する。理由は外国製の方が明らかに優れている「部品」があるからだ。

代表例が飛行電子制御技術(アビオニクス)だ。現代の航空戦は、飛行や通信、索敵、武器の運用などを電子機器を使って行う。米軍は過去の実戦データを制御ソフトに反映する作業を地道に続け、それによって世界最強の座を独走してきた。

三菱重工業などがステルス機体研究を進めてきたほか、F2開発時には外国製に頼るしかなかった十分な推力を持つエンジンもIHIが開発中だ。国産要素技術はそろいつつあるが、アビオニクスは実戦に裏打ちされた米国製が望ましい、と空自関係者は語る。

一方で、仮に米国から提供を渋られた場合は「厳しいが自前で開発するしかない」(関係者)との声もある。そうまでして日本側が日本主導にこだわるのは、遠回りになっても自前開発には利点があるからだ。

戦闘機は、使って不具合を見つけ、それを改修しながらより性能の高いものへ数十年間かけて育てていく装備品だ。そうした過程で技術力もつくし人材も育つ。

主力戦闘機F15は、F35と違って日本側の改修の自由度が大きかった。そのおかげで、運用開始から約40年の間に実は相当「日本仕様」に進化している。

陸自や海自との統合運用強化、無人戦闘機との一体作戦、レーザー兵器の搭載、弾道ミサイル撃墜――。次期戦闘機も改修を続ければ、将来性はどんどん広がる。

次期戦闘機の開発を日本が実際にどこまで主導できるか。一つの防衛装備品の在り方を超えて、この国がいかに自律的に自らの守りに向き合うかの試金石ともなる。

(編集委員 高坂哲郎氏)

広島と長崎に人類初の原爆が投下されてから75年となる。一瞬で命を奪われた人から原爆症で命を落とした人まで原爆死没者は約50万人に上る。日本で戦後生まれの割合は8割を超え、被爆の実相を知る高齢者は少なくなっている。数字と写真から核問題や被爆地の「いま」を探る。(後半に「写真が語る被爆の実相」)

 

■世界の核弾頭1万3410発、米ロで9割 長崎大推定

長崎大核兵器廃絶研究センターは各国の公表データや科学者団体の調査資料を基に、国ごとの核保有数の推定を毎年公表している。

今年6月時点の世界の核弾頭は計1万3410発。保有数が最も多いのはロシア(6370発)で、作戦配備中の大陸間弾道ミサイル(ICBM)は812発、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)は560発だった。

2位の米国は5800発を保有する。配備中のICBMは400発、SLBMは900発。ロシアと米国で約9割を占める。3位は中国だ。20年の国防費(中央政府分)を前年比6.6%増の1兆2680億元(19兆円強)とするなど軍備増強を着々と進めている。

G20大阪サミットで会談するトランプ米大統領(右)とロシアのプーチン大統領(2019年6月、大阪市)=ロイター

G20大阪サミットで会談するトランプ米大統領(右)とロシアのプーチン大統領(2019年6月、大阪市)=ロイター

北朝鮮の保有は35発で、同センターは「核・ミサイル戦力は拡大傾向にある」とみる。

調査を始めた2013年の世界の保有数は計1万7300発。7年間で2割減少したが、米国の保有するICBMは1発につき広島型原爆の20倍以上の爆発規模があるとされる。同センターの中村桂子准教授は「現在の核の全体像を伝えることで、核の脅威は決して過去のものではないことを知ってほしい」と語る。

■原爆死没者50万人 当時の死者は広島14万人、長崎7万人

原爆が歴史上で唯一、兵器として使われたのが第2次世界大戦中の日本だ。米国が1945年8月6日に広島、3日後の9日に長崎に投下した。爆心地を中心に熱線と爆風、放射線の被害が広がり、同年末までに広島で約14万人、長崎で約7万人が亡くなったとされる。当時の人口は広島市が約35万人、長崎市が約24万人。両市には旧日本軍の拠点や兵器工場があった。

 

米軍機より撮影したきのこ雲(写真右)と広島県産業奨励館(原爆ドーム)、爆風がほとんど真上から到達したため建物の壁の一部は倒壊を免れた(ともに米軍撮影 広島平和記念資料館提供)

米軍機より撮影したきのこ雲(写真右)と広島県産業奨励館(原爆ドーム)、爆風がほとんど真上から到達したため建物の壁の一部は倒壊を免れた(ともに米軍撮影 広島平和記念資料館提供)

広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会の「広島・長崎の原爆災害」によると、広島市の92%、長崎市の36%の建物が全壊などの被害を受けた。

 

長崎市香焼町から見た原子雲(写真右、長崎原爆資料館 所蔵)と同市松山町から見た浦上天主堂(長崎原爆資料館 所蔵)

長崎市香焼町から見た原子雲(写真右、長崎原爆資料館 所蔵)と同市松山町から見た浦上天主堂(長崎原爆資料館 所蔵)

被爆者は原爆によって固形がんや白血病などを発症する「原爆症」にも苦しむことになった。慰霊碑に納める原爆死没者名簿の記載数は両市で計約50万人(昨年8月時点)。被爆者のほか、投下時に国が指定する地域外にいた「被爆体験者」の名前も記載されている。

 

 

 

■被爆の実相伝える「遺構」209件、ピーク時から1割減

原爆の爆心地は猛烈な爆風と熱線にさらされ、広島市内では9割の建物が全壊などの被害を受けたとされる。自治体は倒壊を逃れた建物などの「遺構」を被爆建造物として保存し、被爆の実相を後世に伝えている。

 

 

広島市の被爆建造物の登録数は2019年度で86件。世界遺産の原爆ドームや、軍服や靴の生産拠点だった「旧広島陸軍被服支廠(ししょう)」などがある。長崎市は旧城山国民学校校舎など123件(樹木などを含む)を登録している。自治体は被爆建造物の所有者に保存工事への助成制度などを設けている。

都市開発や老朽化で取り壊されるケースが増えている。広島市と長崎市の最多の登録数は、98件(1996年度)と139件(99年度)。それぞれピーク時から1割ほど減少した。被爆建造物を巡っては保存を望む市民も少なくない。

 

旧城山国民学校(長崎原爆資料館 所蔵)

旧城山国民学校(長崎原爆資料館 所蔵)

 

■広島の原爆資料館、インバウンド増加 19年度は全体の3割

被爆者の体験談を聞いたり、被爆資料や遺品を見たりすることで、原爆の悲惨さや核廃絶の必要性を学んでほしい――。こんな思いが込められ1955年8月にオープンしたのが広島平和記念資料館(広島市)だ。

 

 

開館初年度の入館者数は11万5千人だったが、2019年度は175万9千人と過去最多を記録した。年間30万人以上の学生が訪れるなど修学旅行の平和学習として定着した。それに加えて近年、入館者数を押し上げてきたのがインバウンド(訪日外国人)だ。

19年度の外国人の入館者は約52万人で全体の3割を占めた。世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の日本国内の観光地ランキングでは、厳島神社(広島県廿日市市)などと並んで上位に名を連ねる。一方、長崎原爆資料館(長崎市)の19年度の入館者数は約69万人。開館した96年度と比べて4割ほど減少した。

20年は新型コロナウイルスの影響で、両資料館とも一時閉館した。再開した広島平和記念資料館の1日の入館者数は平時の6割程度の3000人に絞っている。インバウンドの回復の見通しは立っていない。

 

 

 

■全国の被爆者13万6千人 ピーク時から6割減

厚生労働省によると、「被爆者健康手帳」を持つ全国の被爆者は2019年度末時点で13万6682人。ピークだった1980年度(37万2264人)と比べて6割減少した。平均年齢は83.31歳。高齢化が進み、被爆者団体の解散も各地で目立つようになっている。

 

 

都道府県別では、広島県(約6万2千人)と長崎県(約3万6千人)で約7割を占める。東京都は約4700人、大阪府は約4500人。

被爆者手帳は自治体に申請して交付される。(1)直接被爆(2)原爆投下から2週間以内に広島市や長崎市に入った(3)救護活動に従事(4)胎児被爆――のいずれかに該当する人が対象だ。国から医療費やデイサービスの自己負担分が賄われたり、葬祭料が支給されたりと支援を受けられる。19年度の原爆被爆者対策予算は約1253億円。累計の対策費は6兆円近くに上る。

国は、原爆放射線によって病気になった被爆者に月額約14万円を支給する「医療特別手当」を設けている。受給には厚労省の専門家会議の認定を受ける必要があり、20年3月末時点の対象者は約7千人。申請が却下された被爆者が処分の取り消しを求めて提訴するケースもある。

 

 

 

■被爆体験「伝承者」 広島・長崎に187人、証言受け継ぐ

広島、長崎の被爆の記憶を次世代に伝える「被爆体験証言者」の活動が高齢で難しくなる中、証言を受け継ぐ「被爆体験伝承者」の育成が進んでいる。広島市は2012年度に制度を作り、20年度の伝承者は150人。14年度から制度をスタートさせた長崎市には37人の伝承者がいる。

広島市の場合、伝承者になるには、話し方の技術や被爆の実相を学ぶ約3年間の研修を受講する必要がある。同市では18年度、小学生や中学生ら約1万6千人に対し、伝承者が被爆の記憶を伝えたという。

 

 

伝承者の年代は10〜80代と幅広い。このうち30代以下は広島市が4%、長崎市が32%にとどまっており、若い伝承者づくりが今後の課題となりそうだ。

一方、広島市の20年度の証言者数は40人。ピーク時の15年度の8割ほどの水準だ。長崎市の20年度の証言者数は43人で、最多だった18年度から4人減った。悲惨な体験を伝えようと、近年になって証言者の活動を始めた被爆者も少なくないが、高齢などを理由に引退する人も相次いでいる。

(大阪社会部 今井孝芳、上林由宇太 大阪写真映像部 小川望、玉井良幸、目良友樹)

適地に限界、広域連携がカギ

福岡県大牟田市で、冠水した住宅街を歩く男性(7月7日午後)=共同

福岡県大牟田市で、冠水した住宅街を歩く男性(7月7日午後)=共同

 

九州などを襲った7月の豪雨災害発生から4日で1カ月。甚大な豪雨災害が全国で相次ぐ中、危険が及ぶときに住民が身を寄せる指定避難所の27%が、浸水や土砂崩れの恐れのある場所に立地していることがわかった。浸水の深さ想定が2メートルを超す場所もある。自治体や住民は施設の被災リスクを点検し、被害の軽減策や代替避難先の確保を急ぐ必要がある。

 

 

ここ数年に発生した豪雨や河川氾濫では、浸水した避難所を閉鎖する事態が相次ぎ、7月の豪雨でも避難所が孤立するケースがあった。日本経済新聞はこうしたリスクが全国にどれほど潜んでいるのかを探った。

国土交通省が集約している市区町村指定の緊急避難場所の地理データベースから、住民が滞在できる指定避難所を兼ねた約4万8200施設を抽出。洪水浸水想定区域や土砂災害警戒区域(特別警戒区域含む)の地理データと照合した。

 

 

 

近隣の河川氾濫で浸水の恐れがある避難所は全体の19%にあたる9255施設。土砂災害を警戒すべき場所には8%の3954施設が立地していた。両方のリスクがある施設は0.4%だった。

上階への垂直避難が必要になる2メートル以上の浸水が想定されるのは全体の2.4%、1146施設だった。浸水リスクがある避難所の割合を都道府県別でみると、埼玉は49%と最も高く、佐賀の46%、富山の45%が続く。

7月豪雨ではリスクが顕在化した。福岡県大牟田市では指定避難所の小学校や公民館が一部で浸水。周辺も冠水し、孤立状態に陥った。市は32カ所の避難所を開設したが、14カ所が浸水想定区域にあった。市災害対策本部は「想定区域の施設を除くと大人数を収容できる施設が足りず、やむを得ない」と説明する。

球磨川が氾濫した熊本県球磨村では6つの指定避難所のうち2施設が浸水した。一部は2メートル以上の浸水リスクがあった。急斜面の地形で土砂も水害も避けられる場所は限られるという。

 

 

 

今回照合したのは全国で比較できる「50〜150年に1回の大雨」を基準にした浸水想定区域。15年の水防法改正で「1000年に1回の豪雨」が新たな基準となったが、未更新の自治体は多く、実際のリスクは悪化する恐れがある。

新基準のデータがある国管理河川の浸水想定区域だけを抽出すると、3メートル超の深さで水につかる恐れがある避難所は約2120カ所もあった。土砂災害警戒区域も自治体指定は道半ばのため、危険な場所は増えそうだ。

もっとも河川近くや山間部は適した場所は少なく、リスクはゼロにできない。上階に住民や物資を退避させる手段も講じておく必要がある。

 

 

 

「安全な施設をすべて個別の市区町村が整えるのは困難」と東大の片田敏孝特任教授(災害社会工学)は行政頼みの限界を指摘。「民間施設の活用など、住民が主体となって避難場所を確保する取り組みが欠かせない」と強調する。

被害が少ない近隣自治体の避難所が被災者を受け入れる対応も有効だ。荒川が流れる東京都江戸川区は100を超す避難所の大半が浸水リスクを抱えるため、千葉県市川市と相互に避難住民を受け入れる協定を結んでいる。水害に詳しいリバーフロント研究所の土屋信行技術審議役は「近隣の自治体が協力して、広域的な防災計画を立てるべきだ」としている。

(鷺森弘、佐藤健、北本匠)

 

【調査の方法】国土交通省が国土数値情報で提供する「浸水想定区域(最新は地域ごとに2012年度もしくは19年度)」「土砂災害警戒区域(同13〜19年度)」の地理データと、国土地理院が全国の市区町村から集めた「指定緊急避難場所」の緯度経度情報を活用。地理空間ソフトと独自プログラムでデータを照合し、一定期間滞在できるよう安全な場所にすべき「指定避難所」のリスクを分析した。東京23区の一部を含め、データを出していない約250市区町村は対象から外した。

新型コロナウイルスの感染拡大によって世界は根底から揺さぶられた。世界経済は今後どう変容を迫られるのか。米財界を代表する一人、米投資会社大手カーライル・グループの共同創業者、デビッド・ルーベンスタイン氏に聞いた。

デビッド・ルーベンスタイン氏

画像の拡大

デビッド・ルーベンスタイン氏

――コロナ禍が広がる前の昨年、パンデミック(疾病の世界的大流行)が金融市場のリスクだとすでに指摘していた。

「動物と人間との交わりが深まれば、動物が持つウイルスが人間にうつる危険は高まる。これは『スピルオーバー』というデビッド・クアメン氏の著作で何年も前から指摘されていた。新たなウイルスが出てくることは常に潜在的なリスクだ」

――コロナ禍は世界をどう変えたか。

「国境を越える移動ができず、国際的な投資も抑えられて世界経済は苦境に陥った。影響はこの先何年も続くだろう。人々の行動は変わり、自宅で過ごす。誰も予想できなかった事態だ」

 

新興国は深刻

 

「より深刻なのは新興国だ。特にドル建ての対外債務の多い国は自国通貨安が進めば返済が困難になる。需要の減退をみて先進国の企業は投資を絞ることになるだろう。エネルギー価格の下落による影響も気がかりだ」

――グローバル企業の経営トップはコロナ禍をどう捉えているのか。

「リモートで管理することが以前考えていたほどは難しくないと感じている。従業員の側も多くは自宅で働くことに抵抗がない。ただ一方で、コロナ前の水準に需要が戻るのは容易でなく、従業員数やオフィスは以前より少なくていいと多くの経営者は考えている」

「世界は大きく変わりつつあり、新たな投資機会が確実にある。医療分野は大きな投資対象となるだろう。5年後の姿を聞かれれば、コロナ禍から完全に立ち直っていることを願うが、多くの企業がデジタルやリモートによる業務へシフトしているはずだ。将来有望な分野が出てくる」

 

資本主義の転機

 

――資本主義が抱える問題がコロナ禍で浮き彫りになったのでは。

「資本主義は完璧ではないが、ほかに優れたシステムはない。広がる所得格差をどう是正し、社会階層の流動性を高めていくか。資本主義は再定義を迫られている」

「最も懸念するのは、コロナでできた『クレーター(大きなくぼみ)』に落ちて抜けられなくなる人が続出する事態だ。パソコンを使えてネットにつながる人と、そうでない人との格差が一段と広がる。コロナ後の新たな世界に対応できない企業は行き詰まり、教育を受けていない人は職を得られぬまま転がり落ちてしまう。深刻な問題だ」

――いまの金融市場で「ブラックスワン(予測不能なリスク)」は。

「核物質の拡散を心配している。テロが各地で広がるようだと波乱要因になりかねない。経済大国間で戦争のような事態に陥らないことを願う」

――今秋に控える米大統領選への見方は。

「民主党のバイデン氏が選ばれれば、トランプ政権の多くの政策は覆されるだろう。特に気候変動対応や対イランの強硬姿勢は転換するとみる」

――日本への見方は。

「日本が10年、15年後も国内総生産(GDP)で世界3位にいられるとは思わない。海外投資が必要だし、移民を受け入れるのも一つの方法だ。ただ一番重要なのは、起業がもっと増える経済にすることだ。新たに企業を立ち上げグローバルな企業に育てる起業家が日本は少なくなっている」

(聞き手は編集委員 藤田和明)

 

David Rubenstein 1987年に米投資会社、カーライル・グループを立ち上げた創業メンバー。米外交問題評議会や世界経済フォーラムなどの中核として米財界を代表する一人。73年、シカゴ大学ロースクール卒。

帝国データバンクが実施した国連の持続可能な開発目標(SDGs)に関する企業調査によると、2割強の企業がSDGsに積極的な姿勢を示した。業種別にみると金融が42%と最多で、製造業が29%と続いた。SDGsへの対応が企業の社会的評価の向上に不可欠になりつつあるなか、大企業と中小企業の間で対応に差も生まれており、今後の課題になりそうだ。

画像の拡大

 

調査は6月17〜30日に実施した。有効回答企業数は1万1275社だった。

自社におけるSDGsへの理解や取り組みについて尋ねたところ「意味や重要性を理解し取り組んでいる」と答えた企業は8%だった。「意味や重要性を理解し取り組みたい」と答えた企業は16%で、合わせて24%がSDGsに積極的だった。

一方で「言葉は知っていて意味や重要性を理解できるが取り組んでいない」は33%、「言葉は知っているが意味や重要性を理解できない」は15%で、合わせて半数近くがSDGsを認知しているものの取り組みを実践できていないことがわかった。

SDGsに積極的な企業を規模別でみると大企業は35%で全体(24%)を大きく上回った。一方中小企業は22%、小規模企業は19%にとどまった。帝国データは「SDGsは今後企業の社会的価値を決める上で不可欠になるが、企業規模で大きな差が出ている」とみている。

業種別では金融が42%で最も多かった。製造が29%、農林水産が28%と続いた。

SDGsは未来の地球のために達成すべき17のゴールが設定され、世界全体の社会課題を網羅している。17のゴールのうち、現在力を入れている項目について複数回答で聞いたところ「働きがいも経済成長も」が27%で最多だった。次いで「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」(16%)、「つくる責任つかう責任」(15%)が続いた。

 

ドローン(小型無人機)で社会課題を解決するビジネスを模索する動きが日本で広がってきた。国は2022年度にも「有人地帯での補助者なしの目視外飛行(レベル4)」の実現を目指す方針で、規制緩和へのロードマップを示した。機体は中国勢に席巻されたが、人口減やインフラ老朽化など「課題先進国」の地で磨いたサービス力でビジネスを世界に向けて離陸できるか。

 

■北の大地はドローン実験で最適な地域

 

「離陸します」。操縦士が話すと、ドローンがふわりと浮上し、青空に向けて飛び立った。

調剤薬局大手のアインホールディングス(HD)と旭川医科大学(北海道旭川市)は19日、ANAHDと協力し、医師の指導を通じて処方された医薬品を、ドローンで患者の元にまで届ける国内初の実証実験を実施した。

ビデオ会議サービスを用いて、旭川医大の医師とアインHDの薬剤師が500メートルほど離れた場所にある老人ホームの患者に診療と服薬指導を実施。処方された医薬品をANAHDのドローンチームが患者の元まで約4分の飛行で無事に届けた。ドローンを用いた「非対面医療」の実現に向けて一歩を踏み出した。

国立社会保障・人口問題研究所によると、北海道の総人口は45年に約400万人と、今後25年で2割以上減る見通し。医療や物流の維持のため、北海道では企業や大学、自治体などにとってドローンのニーズは切実だ。ANAHDのドローン事業化プロジェクトを担当する信田光寿ディレクターは「産業ドローン実用化に向けたノウハウを蓄積するのに、北海道は最適な場所だ」と語る。

国は3月末、「小型無人機の有人地帯での目視外飛行実現に向けた制度設計の基本方針」をまとめ、22年度のレベル4の実現に向けた考え方や課題などを整理した。18年に「無人地帯における目視外飛行(レベル3)」の制度を整備したが、有人地帯での飛行に向けて、最適な規制に緩和するための道筋を示した。

 

 

 

 

■ドローン、有人地帯の目視外飛行には課題山積

 

レベル4が実現すれば、陸上輸送が困難な地域に生活物品や医薬品などを配送したり、高齢化が進む地域を巡回警備したりできる。基本方針には「小型無人機が産業、経済、社会に変革をもたらすためには、レベル4の実現が不可欠」と明記。7月には「空の産業革命に向けたロードマップ」を改訂し新たな個別分野で医療などを加えた。

ただ、レベル4の実現に向けたハードルは高い。基本方針も有人地帯の上空を飛ぶには、「社会的に信頼される手段として受け入れられることが必要」とした。機体所有者の把握やプライバシー侵害の対策など課題は山積する。カギを握るのは、具体的な社会課題を掘り起こし、実用化に向けての障壁を丁寧に取り除く産学官の連携だ。

北海道での医薬品配送実験は、その象徴と言える。北海道経済産業局が音頭をとり、ANAHDのほか、旭川医大やアインHD、旭川市の協力を取り付けた。産学官の連携で、国内初の取り組みの実現につながった。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って規制緩和されたオンライン診療を活用できたほか、住宅密集地の公道をドローンで横断できたことなどだ。

ドローンの信頼を得るには、社会課題の解決に必要な手段として人々に認知してもらう必要がある。レベル4に向けたロードマップが示され、課題解決型サービスを軸に企業のドローンビジネスも活発に動き出した。

人口減や人手不足に着目したのは住友商事だ。2月、ドローン開発スタートアップのエアロセンス(東京・文京)と資本業務提携した。国内の建設現場では作業員の高齢化で人手が不足するなか、ドローンを使って作業を自動化し、生産性の向上につなげる。

 

ドローンを活用すれば、高齢化や人手不足で悩む建設現場の効率化につながる

ドローンを活用すれば、高齢化や人手不足で悩む建設現場の効率化につながる

 

エアロセンスはドローンで収集した画像データの解析や、ドローンの自律制御システムなどソフト開発力を強みとする。例えば、建設現場の測量では2.5秒ごとに撮影した画像を基に、人工知能(AI)が距離や高さなどを分析する。人力による測量よりも所要時間を3分の1から2分の1程度に短くできる。

住商は農業分野でもドローン開発のナイルワークス(東京・渋谷)と組み、19年10月に農業用ドローンをバッテリーとセットにして貸し出すサービスを始めた。タブレット端末で指示を出すと、完全自動運転で農場内に農薬を散布できる。

 

■ドローンの機体は中国が席巻、日本の活路は産業用途の機体・サービス

 

インプレス総合研究所によると、国内のドローンビジネスの市場規模は25年度に6427億円と19年度の4.6倍に拡大する見通し。そのうち、約7割をドローンを活用したサービスが占める。

ドローンビジネスでは機体とサービスに大別されるが、機体分野は中国のドローン大手のDJIが市場シェアの約7割を握るとされる。

 

 

 

ドローン関連の業界団体、日本UAS産業振興協議会によると、18年に世界で出荷されたドローンの機体数は400万機で、米国が150万機、日本は15万機だった。機体の内訳では趣味用途が9割で、産業用途は1割という。ドローンを用いた課題解決型のビジネスモデルを確立できれば、産業用途で世界市場を開拓できる余地は大きい。

中国勢が圧倒する機体分野でも風穴を開けようとする挑戦が始まった。

パソコンメーカーのVAIO(長野県安曇野市)は3月、ドローンの設計や製造を手がける子会社、VFR(東京・品川)を新設した。活路を見いだしたのは、産業用途のドローンだ。VFRの留目真伸社長は「産業用ドローンは用途別に細かな最適化が必要。環境変化のなかでも安全な機体が必要になる」と指摘し、「中国が先行するが、世界のドローン市場は黎明(れいめい)期で参入の余地がある」という。

パソコンの製造で培ったノウハウをドローン製造で生かす。「特に小型・軽量のドローンには、省電力や高い通信性能など総合的な技術が必要」(留目氏)と述べ、日本のパソコンメーカーの強みを生かせるという。留目氏は「日本のドローン産業を世界トップにしていきたい」と意気込む。

 

VFRは産業用ドローン開発のACSLと共同開発に取り組む

VFRは産業用ドローン開発のACSLと共同開発に取り組む

 

22年度のドローンの有人地帯への目視外飛行に向けて産学官はスタンバイに入った。制度整備などで先行する米国や中国などにどう対抗していくか。留目氏は「オープンイノベーション型で役割分担しながら産業を創り出していく」と話す。課題解決型サービスの実現に向けた産学官の連携が、ドローンビジネス飛躍の条件となる。

(札幌支社 久保田皓貴、企業報道部 坂本佳乃子、河端里咲)

世界的に新型コロナウイルスの流行が第2波を迎えつつある。第1波の経験から何を学び、どう対応するのか。その際に最も知りたいのは、第1波が経済にどのような影響を与え、経済対策がどのくらい効果があったかだろう。

 

渡辺安虎 東京大学教授

渡辺安虎 東京大学教授

コロナ危機はこれまでの金融危機や経済ショックとちがい、経済主体による影響の異質性が極めて高い。企業であれば業種や取引相手、顧客の種類により減収幅などが大きくばらつく。個人も職種や年齢、性別、正規か非正規か、といった属性により影響度合いが異なった。

この影響の異質性を、集計された公的統計から知ることは困難だ。例えば製造業の公表数字があっても、アルコール消毒液を作る企業もあれば、自動車部品を作る企業もある。公的統計はあくまで集約した数字が公表されるだけだ。統計の基になる個票レベルの「ミクロデータ」への機動的なアクセスは、政府外には閉ざされている。

この4カ月間、コロナ危機をめぐる日本経済に関する論文などで公的統計のミクロデータを使ったものは私の知る限り存在しない。素早く発表された分析は全て民間データを使っている。東大の研究者はクレジットカードの利用データを用い、一橋大などのチームは信用調査と位置情報のデータを使った。米マサチューセッツ工科大のチームは日本の求人サイトのデータを分析した。

一橋大と香港科技大のチームは自ら消費者調査会社にデータの収集を依頼した。このプロジェクトに至っては、政府による数兆円規模の補助金の効果を分析するため、クラウドファンディングで200万円の寄付を募るという綱渡りを強いられている。

政府統計の問題はミクロデータへのアクセスが閉ざされているだけではない。行政データのデジタル化の遅れにより、解像度と即時性を兼ね備えたデータがそもそも存在していない。これらの点はすぐに改善は望めないので、当面は民間データの利用を進めるしかない。

成果も少しずつ出てきた。たとえば米ハーバード大のチェティ氏らによる、民間データを最大限利用する取り組みには、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団などから大きな研究費がついた。その結果、各種の経済対策が雇用に与えた効果が極めて限定的だった、ということが分かってきている。

しかしより大きな問題は、政府が様々な給付金や補助金の効果を把握するための仕組みを考慮していない点だ。たとえばある補助金を受け取った企業は、受給が1カ月遅れた企業とどのように影響が異なるのか。第2波のために経済対策を打つにも、政策の有効性が全く把握できていない。これでは政府が暗闇の中で意思決定するのと同じだ。

証拠に基づく政策決定の整備が急を要する。政府がミクロデータを提供し、民間データとうまく組み合わせれば効果を測ることができる。今からでも予算の0.01%でも効果測定のために用いれば、第2波、第3波によりよく備えられる。政府は全速力で取り組むべきだ。

 

 

日本から世界へ、世界から日本へ。夢をあきらめない選手が、国をまたいで挑戦する道を開くため、起業したのが「WorldTryout(ワールド・トライアウト)」社長の加治佐平氏だ。人生に挫折はつきもので、2度、3度と再挑戦できるシステムをつくりたい、という。その思いとは……。

【関連記事】やっと開幕 数字で見るMajor League Baseball

■トライアウトの監督は清原和博氏

2019年11月30日。シーズンを終えて静まり返っているはずの神宮球場に、球音がこだました。日本のプロ野球を退団した選手や、アマチュア選手が内外のリーグに再挑戦する場として、ワールド・トライアウトが開いた試合形式のテストの場だった。

こうしたテスト会にはプロ12球団で戦力外となった選手のための12球団合同トライアウトもある。日本野球機構(NPB)の中で活路を模索するためのものだ。

一方、ワールド・トライアウトは国内の移籍をサポートするとともに、日本と世界を結ぼうという試みとして生まれた。

半信半疑ながらトライアウトに挑戦。メキシコでのプレーを選んだ高木氏

半信半疑ながらトライアウトに挑戦。メキシコでのプレーを選んだ高木氏

 

昨季限りで西武を退団した高木勇人投手や独立リーグの選手、さらには日本球界入りを希望する外国人4選手も参加した。これをメジャー5球団と台湾プロ野球のスカウトが見守った。

初めて耳にするイベントに、高木も最初は参加をためらったというが、結果としてイベントは大盛況だった。シーズン外れの野球場に2500人のお客が集まった。大半のお目当ては試合形式のテストの「監督」に指名された清原和博氏(52)だった。衝撃の薬物事件から3年。球界のレジェンドの久々のユニホーム姿に注目が集まった。

トライアウト終了後の会見で「(現役)当時の横断幕が見えたりだとか、ライオンズ時代のファンの方もいらっしゃった。またこうして応援していただけたというのは心からうれしい」と、再出発の意欲を語った。

イベントは清原氏一色。だが、それこそ加治佐氏が望んだものだった。「再出発のシンボルとして清原さんに采配をふるってもらえてよかった」。トライアウトの根底には、挫折しても人生は終わりではなく、やり直しはきくのだ、という信条があった。そのメッセージの発信の場として、大成功だった。

神宮球場で行われた「ワールド・トライアウト」で東尾修氏(左)と対談する清原氏。昔からの西武ファンにはたまらない組み合わせ

神宮球場で行われた「ワールド・トライアウト」で東尾修氏(左)と対談する清原氏。昔からの西武ファンにはたまらない組み合わせ

 

■フリでもいいから楽しむ

バイオテクノロジーの研究者として病気の早期発見や、スポーツ選手の故障予防技術の開発などを手掛ける加治佐氏。畑違いとも思えるトライアウトの必要性に思い至ったのは、東大野球部OBとして親交を重ねていた六大学の関係者に、進路に悩む選手が多かったからだ。プロで解雇されたり、大学卒業後の進路を見つけられなかったり、独立リーグから先の道が途絶えていたり……。野球をやりきったという気持ちを抱けないまま、なし崩し的に第二の人生に進まざるを得ない現状がそこにあった。

 

 

加治佐氏とともにワールド・トライアウト社を運営する田中聡氏は元日本ハム内野手。好きな野球を続けるため、法大卒業後の2000年には米国の独立リーグで修業するなど、道なき道を歩んできた。その苦労話を聞くにつけても、野球選手の進路を広げる必要性を痛感するばかりだった。

西武退団後、野球を続ける道を探すのに苦労した、という高木も今はワールド・トライアウトに参加してよかった、と思っている。「自分のような立場の選手はいままでもいたと思うし、これからも出てくるはず」だからだ。

特に、野球は日本だけでなく、世界のどこでもできるのだから、視野を広げて活躍の場を求めていこう、という考え方には共感するものがあった。

巨人時代、高木は岡本和真らとともにプエルトリコのウインターリーグに参加した。そこには似て非なる野球があった。

「米国の自治領だけど、米国の野球とも違って、純粋に野球を楽しんでいる感じがあった」。負けたら純粋に悔しがる。決して楽しいばかりではないのだが、悔しさもつらさも、どこかで前向きの力に変えないと、勝つための活力が生まれてこない、と考えているらしい。たとえ涙目になっても「俺たちは楽しんでるぜ」と、自分をだましながらやっている感じを含め、高木は興味を引かれた。

 

巨人時代の高木氏。1年目の15年に9勝。中継ぎでも活躍した=共同

巨人時代の高木氏。1年目の15年に9勝。中継ぎでも活躍した=共同

 

そこへいくと、日本の野球は「ちょっと抑えながらやっている」と感じられるという。

高木はどちらがいい、悪いという問題ではないと強調しつつ、世界のあり方は一様ではなく、国・地域それぞれの野球があり、人それぞれの生き方があるから面白い、と話す。

高木は今季からメキシコリーグに所属し、プレーを続けることにした。自分の歩んだ跡が、後輩たちの道しるべになればいい、と考えている。

95年の歴史を誇るメキシコリーグも、コロナ禍にはあらがえず、初の中止が決まった。高木の挑戦も宙に浮く形になったが、めげていなかった。

「この困難も、一つの経験だと思います。自分自身は全然下を向いているわけではなくて、次に向けて何をすべきかの勉強になると思います。今はハプニングばかりですが、この経験は必ず自分の糧になると思っています」とのコメントを現地から寄せてくれた。想定外のことばかりに向き合ってきた人らしく、慌てず、騒がず、じっくり構えている。

■「一発勝負」はきつい時代

加治佐氏や高木ら、思いを同じくする仲間の輪は広がりつつあるが、ワールド・トライアウトの課題は多い。日本のプロ球団のスカウトは来ず、その意味でまだ"公認"された存在とはいえない。

こんな声も聞こえてくる。海外へ選手を送り込むのはいいが、安易な挑戦は、ずるずると野球にしがみついて、時間を無駄にするような失敗例を増やすだけではないか。

加治佐氏は逆に問う。駄目とか失敗とか、何をもって判断するのか。

「語学ができて150キロの速球を投げる人材なんてそんないない」と話す加治佐氏

「語学ができて150キロの速球を投げる人材なんてそんないない」と話す加治佐氏

 

「もし野球で駄目でも、英語やスペイン語を話せるようになって帰ってきたら、一般の企業にとっても魅力のある人材になる。語学ができて150キロの球を投げられる人材なんて、なかなかいませんよ」

自分で限界を設けない限り、人は変われる。海外挑戦もそのきっかけになりうる。もし、野球で通用しなくても、それは人生の一部であって、その先に勝負はまだあるのだから、と加治佐氏は訴える。

雇用形態が崩れ、国境の境目が薄れ、人の流れが激しくなる時代に、誰であれ「一発勝負」はきつくなってくる。再挑戦を促し、人生を複線化、複々線化する取り組みは野球界だけのテーマではない。

(篠山正幸氏)

 

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、アルバイトやパートなど非正規雇用の職を失った人々が収入の確保に追われている。外出自粛の要請が続くなか、巣ごもり生活でニーズが高まる配送業務、在宅でできるオンラインの業務を探す動きが広がる。現在の状況下で新たな職を見つけるのは容易でなく、生活に困窮する人の増加も懸念される。

人通りの減った東京・渋谷駅周辺では、ウーバーイーツのロゴが入った四角いリュックを背負い、自転車や原付きバイクにまたがった若者らの姿が目立つようになっている。

交差点で信号待ちをしていた男性(25)は、新型コロナの影響で3月下旬に居酒屋のバイトを失い、4月下旬にウーバーイーツの配達を始めた。「生活費が底をつきそうになり、この状況でも働けるのはありがたい」

外出自粛に伴うネットでの買い物などを見込んで配送関連の業務に目をつける求職者は増えている。大手就職情報会社マイナビによると「梱包・検品・仕分け・商品管理」の4月1〜7日の応募数は前年同期比192%を記録した。

「外で働いて感染し、同居する祖母にうつしたら大変」。東京都内の私立大学4年の男子学生(23)は4月中旬、転職支援サイトの宣伝文などを書く在宅バイトを始めた。3月以降、バイト先の飲食店は休業になり、大学の授業もない。「報酬は安くても感染リスクを抑えられる」と引き続き在宅での収入確保を模索する。

人材サービス大手ディップによると、同社が運営する求人情報サイト「バイトル」では3月、関東や東海、北海道など4エリアで「在宅」というキーワードのサイト内検索が増加した。在宅ワークへの応募も3月下旬から急増し、4月2週目の時点で3月末の約1.5倍となった。

在宅でのコールセンター業務を仲介するサイト「コールシェア」では、5月8日時点で18〜22歳の登録者が19年12月の約4.5倍になった。

厚生労働省が全国の労働局やハローワークを通じて集計したところ、新型コロナに関連して解雇や雇い止めにあった人(見込みを含む)は4月27日時点で3391人。3月30日時点の1021人から大きく増えた。

労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」(東京・世田谷)には「勤務先の業績悪化で解雇された」「休業中に十分な補償を受けられない」など、4月25日時点でコロナ関連の相談が1306件あった。うち8割がパートやバイトなどの非正規労働者から。3月中は訪日客減少のあおりを受けた観光業の相談が目立ち、4月以降は休業が広がる飲食・サービス業が増えているという。

都内に住む女性(50)は4月上旬、派遣で勤めていた飲食店が臨時休業となって仕事を失った。その後、霞が関の官庁街で弁当販売の仕事を得たものの、テレワーク拡大で売り上げが低迷し、2週間足らずで解雇された。10代の息子と2人暮らしの家計は厳しく、先行きのメドは立たない。

日本女子大の大沢真知子教授(労働経済学)は「外出自粛や休業が長引けば職を失う人は増え続け、新たな収入源を見つけることも難しくなる」と指摘。「国が雇用主の事業者を支援し、パートやアルバイトの職を守ることが必要だ」と話している。

日興エボナイト製造所 代表取締役 遠藤智久氏

 会社の経営は山あり谷あり、波乱の連続である。谷底が見えるほどの崖っぷちに立ったとき、経営者はどう考え・行動したのか。今回は、国内唯一のエボナイト棒・板メーカーである日興エボナイト製造所の遠藤智久社長に聞いた。

 

◇  ◇  ◇

 「入社直後から、業績は右肩下がりでした。さすがにこれ以上は下がらないだろうというところで、リーマンショックに見舞われ、どん底を経験しました。今、会社には15人の従業員がいますが、当時は家族4人と従業員2人の計6人にまで減り、年商も私の入社時の約3分の1に落ち込みました」

 日興エボナイト製造所の遠藤智久社長は、会社の業績が厳しかったころをこう振り返る。

 エボナイトは、天然ゴムを原料とする世界最古の人工樹脂といわれ、万年筆、楽器、喫煙具、絶縁素材などに利用される。日興エボナイト製造所は、それら製品の材料となるエボナイト棒や板を製造してメーカーへ納品する会社だが、経営は苦しかった。エボナイトは昭和30年代から、より安価なプラスチックに置き換わり、市場が縮小。国内の多くのメーカーが廃業に追い込まれていた。

 父が社長を務める日興エボナイト製造所へ遠藤氏が入社したのは1998年。1994年に早稲田大学の商学部を卒業した後、段ボールメーカーで仕事をしていたところを呼び戻された。日興エボナイト製造所では、それまで伯父が経営全般を、父が現場を担当していたが、伯父が病気になり、父が社長を引き受ける。しかし、父は現場一筋で経理や配送などの経験があまりなく、段ボールメーカーで営業を行っていた遠藤氏にその役割を求めた。

 業績低迷の打開に向けて、日興エボナイト製造所は父子による新たな体制のもと、経営努力を重ねた。

 2007〜2008年にかけて、東京・荒川区が開催した荒川経営塾という中小企業向けセミナーに参加したことが転機だった。セミナー講師の中小企業診断士と相談するなか、下請けを脱して、一般消費者向けの商品を販売する新事業を検討。東京都の経営革新計画による支援策も利用して取り組んだ。

 エボナイトを材料にする一般消費者向けのさまざまな製品を試作した。ゴムを原料とするエボナイトは、手に持ったときに温かみがあり、手触りもよい。そこで杖を作った。また、滑らずグリップ性がよいことから、はんこを作った。楽器に使うと音響特性がよいため、ハーモニカの本体を作った。

 数々の試作品からヒットが生まれた。大理石のように流れる模様がついたカラーマーブルエボナイト――独自開発したこの材料でオリジナル万年筆を作った。2009年に開催された地元の荒川区産業展に1本6万円で販売したところ、5本が売れた。遠藤氏は「これはいけると、いい意味で勘違いをしました」と話す。

 勢いづいた遠藤氏はこのオリジナル万年筆の販路をネットに求めた。同年、ウェブショップ『下町のエボ屋さん=笑暮屋(えぼや)』をオープン。2010年、日興エボナイト製造所 代表取締役に就任すると、販路をさらに広げるべく、2011年に日本橋三越、伊勢丹新宿店それぞれの展示即売会に出展して、期待以上の成果を上げた。

 

会社の外に出て人に会ううちに、名刺の量が急に増えた

 遠藤氏はなぜ、市場規模が縮小するとわかっていたエボナイトの事業を盛り返すことができたのか。話を聞いて感じるのは、逆境の中でも前を向いて進む力の強さである。しかも、その力は会社の外を向いていた。

 経営塾に参加したころを遠藤氏はこう振り返る。業績の低迷が続いており、工場が稼働しない日が週1〜2日あったが、会社の外へ意識的に出たという。

 「今日は仕事がないから、無料の経営相談へ一緒に行こうといって父を誘いました。ある意味、暇だったので、どこにも行けました。外でいろいろな人に会ううち、受け取った名刺の量が増えました。それまでは出入りの業者の担当者が代わるときしか名刺交換をしなかったのですが、今では年に数百枚の名刺が集まります」

遠藤氏の、ものづくりに対する考え方は「お客さまの依頼は、まず断らずに聞いてやってみます。やってみてダメだったら、そのまま伝えればいい」というもの。

 一般消費者向けの製品を試作したときも、会社の外へ積極的に出かけた。

 「試作にトライをすればするほど、外からのアドバイスが入ってくるようになりました。そういう体験をしたため、さらに販売会に行ったり、専門家の話を聞いたり、とにかく外へ出るようになりました」

 オリジナル万年筆の事業を立ち上げる際も同じだった。日興エボナイト製造所にはエボナイト棒を製造する会社だ。遠藤氏は、開発したカラーマーブルエボナイト棒を、万年筆の加工職人のところへ自ら持ち込み加工の仕事を依頼した。ペン先も専門の職人を紹介してもらい、取り付け・調整を依頼した。

 ウェブショップでオリジナル万年筆を本格的に売ろうとしたときには、ウエブデザイナーや印刷の専門家など外部の人材を集めたチームをつくり、ウエブサイトやパンフレットなどを制作した。

 その万年筆がマニアの話題になり、専門雑誌にオリジナル万年筆が取り上げられると、今度は百貨店のバイヤーが文具専門の展示即売会への出店を打診してきた。その日本橋三越の即売会では、東日本大震災の直後の消費減退のなか、高額の製品が何十万円分も売れた。

 こうした前向きな力のよりどころは、エボナイトや会社に対する思いだった。「会社には愛着がありました。何とかもう一度、エボナイトが日の目を見る日が来るのではという思いでやってきました」という。

 会社の事務所を兼ねた工場は、遠藤氏の幼いころの思い出の場所でもある。「弊社は、近くにあったエボナイト粉末工場へ集団就職した祖父が1952年に独立して創業しました。私の両親もこの工場で働き、事務室にベビーベッドを置いて私を育てました。小学校に入ると、私は『ただいま』と言って工場へ帰り、そこから外へ遊びに行ったり、事務室で本を読んだりして過ごしました」

エボナイト棒・板もネット経由で世界中から注文が来る

 エボナイトの市場は現在も決して大きくはないが、遠藤氏は事業の将来性を生き生きと語る。2011年に始めたエボナイト素材の海外市場開拓で手応えをつかんだのだ。新たな“外”への挑戦である。

 市場規模の大きさのため、エボナイトの製造に大手メーカーは参入しない。世界全体でもメーカーは日本以外にドイツに2社あるぐらいでレアな存在だという。一方、海外には、万年筆や楽器、喫煙具といったエボナイトの用途に対して日本以上の市場があり、そこを狙っている。世界中のバイヤーとメーカーをマッチングするウェブサービスに、遠藤氏が登録したところ、アメリカやヨーロッパ、アジア、オセアニア、南米から注文がきたという。参入したときの初年度の海外売上は年間約30万円でマッチングサービスの使用料にも満たなかったが、今では年間約2000万円に上るという。

 遠藤氏の、ものづくりに対する考え方は「お客さまの依頼は、まず断らずに聞いてやってみます。やってみてダメだったら、そのまま伝えればいい」というもの。もちろん、そうすることには、手間も暇もかかり、必ずしも成功しないのは承知しているが、ためらいはない。

 オリジナル万年筆の材料にした独自開発のカラーマーブルエボナイトも「マーブルエボナイトというものが昔からあるが、作ればすごく売れると思う」といった取引先との雑談のような話から開発したと遠藤氏は話す。

 「『まずは相手に喜びを与える』という先々代社長の言葉を色紙にして社内に掲げています。まずは相手に喜びを与える――その先に活路はあると信じて今までやってきました。ニーズはどこにあるかわかりませんが、エボナイトでなくては嫌だ、エボナイトだからほしいとお客さまに思ってもらえれば、成功だと思います」(遠藤氏)

 取材の最後に、遠藤氏に企業の経営層に対するメッセージを聞いてみた。すると遠藤氏は考える間もなくこう答えた。

 「答えは“外”にあるのだと思います。私は会社のどん底を見て、“外”に答えを求めました。内にこもっていても状況は変えられません。答えは外にある――これが私からのメッセージです」

文:八鍬 悟志(やくわ さとし)
都内の複数の出版社に12年勤めたのち、フリーランスライターへ。得意ジャンルはIT(エンタープライズ)と国内外の紀行文。特にITに関してはテクノロジーはもちろんのこと、人にフォーカスしたルポルタージュを得意とする。最近はハッカソンイベントなどを取材する機会も多い。


PR

Calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

kokoro_sukui

kokoro_sukui2

Archive

Recommend

 (JUGEMレビュー »)


Mobile

qrcode

Selected Entry

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM